ABOUT

Text by 三浦正行(CLUTCH Magazine編集部)

Artist 平塚 隆之

1980年、千葉県船橋市に生まれる。 高校時代からロックミュージックに傾倒し、仲間たちとバンドを組んでオリジナル曲もつくるほどのめり込んだ。 高校卒業後もバンド活動を続けたが、ある時にやむを得ず解散。 気分を一新するため、ワーキングホリデーでニュージーランドへ旅立った。 そして3ヶ月間は、現地一周の旅へ。

刺激的な旅を終えて日本に帰国後、もともと興味のあったモノづくりの世界に進むことを決意。 兄の影響でインディアンジュエリーが好きだったことから、シルバー職人の道を選んだ。

当時大人気だったBIG HANDで約5年間修業した後、29歳で独立。 もともとマジックアワーと呼ばれる空の色が好きだったこともあり、 夫人のアイデアで“水平線近くの淡い青”を意味する『ホリゾンブルー』という色の名が、ブランド名に決まった。

独立当初は、あえてイーグルやフェザーをつくらなかった。

当時はインディアンジュエリーが最盛期だったこともあり、イーグルやフェザーをモチーフにしたジュエリーが世に溢れていた。 自分の好きなジュエリーも、それらアメリカに由来するものが多かったのだが、ヨーロッパやニュージーランドなど、興味の対象は幅広かったため、 あえてアメリカ由来のデザインに固執せず、好きなものを好きなようにつくろうと考えた。 そこで、当初はインディアンジュエリーを象徴するイーグルやフェザーをモチーフにしたジュエリーは、個人オーダー品を除き、インラインのプロダクツとしてはつくらなかった。

日常のあらゆるものがデザインソースになる。

デザインは自分の中から湧き出てくるものではなく、普段の生活で視界に入るすべてのものがヒントであり、 身の回りにあるものから閃きは生まれる。 その日見た風景はもちろんのこと、出会った人やモノの影響も大きい。

独立して間もない頃は、個人オーダーも受け付けていた。 時にある「自分に似合うジュエリーをつくってほしい」というリクエストも、大いに刺激を受けた。 その方のお顔とのバランスを考え、丸・三角・四角という形に合うジュエリーを考えていくという作業は、大変でありながらも、 現在の“枠にとらわれないジュエリーづくり”において、糧になったのはいうまでもない。

「銀でつくるフェザーだからできること」という考え方。

2014年、イーグルやフェザーのデザインを解禁した。 むしろこれら2つのモチーフを、基本的なデザインとして取り入れることにした。 真逆の方向に舵を切ったのには訳がある。

それまでは、インディアンジュエリーの大定番モチーフであるがゆえに世に溢れ、それらをモチーフにすることに魅力を感じていなかった。 “真似ごと”のようにさえ感じて避けていた。しかし、自分らしいディテールへのこだわり、いかに他ブランドができないことを形にするか、を意識して作ることで、それら大定番のモチーフを全く違うものに仕上げることができると、考えを改めたのだ。 それは、日本が世界に誇る職人技、もっといえば“平塚隆之にしかできない職人技”へのチャレンジである。

だから「フェザーを銀でつくる」という考え方ではなく、「銀でつくるフェザーだからできること」という考え方でモノづくりをしている。 こうして大定番モチーフも、全く新たな発想によるデザインとして具現化されるのだ。

ホリゾンブルーとは“可能性”である。

アクセサリーではなく、ジュエリーであること。

インディアンジュエリーが根底にありながらも、既成概念にとらわれないデザインにアレンジすることで、枠にとらわれない全く新しいジュエリーが生まれる。 それは、“身に着けるもの”という範疇にとどまらず、置物や家具といった“生活の一部”という新たなジュエリーの価値観を生み出すことに繋がるだろう。

それがホリゾンブルーの目指す先であり、ジュエリーブランドの“可能性”なのである。

ハンドメイドによる圧倒的なディテールへのこだわり。

インディアンジュエリーの伝統的なモチーフと斬新なアイデアの融合。

平塚隆之の頭の中を具現化したようなアトリエ。

いま興味のあるものや趣味のものが、所狭しと飾られている。